311に脱原発ごっこ(笑)
この件(3月11日、反原発福島いやがらせツアー)徹底反対について、柳美里さんに完全に同意します。
2012年01月22日
柳美里はネトウヨ「福島みずほをぶち壊したい。怒りで手が震える」Birth of Blues
http://birthofblues.livedoor.biz/archives/51323880.html
■脱原発をめざす女たちの会 呼びかけ人■
http://datsugenfem.web.fc2.com/2011_11_23kick_off/yobikake.html
呼びかけ人、ざっと拝見いたしましたところ、知る限りにおいて恐ろしいまでに美人率ゼロパーセント。
脱原発よりも先に、脱美人を完全に達成された模様でございます。おめでとうございます。左巻き、顔と頭が不自由なのなんでか?
2012年01月22日
柳美里はネトウヨ「福島みずほをぶち壊したい。怒りで手が震える」Birth of Blues
http://birthofblues.livedoor.biz/archives/51323880.html
■脱原発をめざす女たちの会 呼びかけ人■
http://datsugenfem.web.fc2.com/2011_11_23kick_off/yobikake.html
呼びかけ人、ざっと拝見いたしましたところ、知る限りにおいて恐ろしいまでに美人率ゼロパーセント。
脱原発よりも先に、脱美人を完全に達成された模様でございます。おめでとうございます。左巻き、顔と頭が不自由なのなんでか?
いつもの夢
今日は、いつもの夢で目が覚めた。というより、目が覚めるまでいつもの夢を見ていたというのが、より正しいか。
いつもの夢と言っても、たぶん年に3回か4回、多くても二か月に一度くらいだろうか、記録したことがないので記憶はあいまい。
その夢は、いつも同じ登場人物で、夢の中で少しずつ進化というか存在が深化している。もとは実在の人物だった。いつかどこかで。
永遠なんてどこにもないけれど、この夢を見ると、人の心の奥深くには誰も知らない永遠の楽園があるような気がしてくる。
世界にはさまざまな現実があり、人生は思うようにはならないことを、だんだんと知って大人になる。それでも楽園はいつかのまま。
もし、人知を超える存在に、私が人間として生まれてきた理由が、この夢を見続けることだと言われたら、信じてしまうだろう。
私にとっての夢は文字通りの眠っている時間に見る無意識の世界であり、現実とは隔離されたできごとである。実現するのは無粋な感じ。
いつもの夢は、私が本当に求めているもの、実はそれを与えられていたこと、心の中に宝物を持つことの大切さを教えてくれる。
目覚めたときに、いつも同じ気持ちになる。そして、今日まで生きてきたことは、そんなに悪くなかったのではないかとほっとする。
家族のお友達が、自家製の生ハムを送ってくれた。1か月以上かけて熟成させた、とても上等なプロシュート。切るのが楽しみ。
あまりに美しい生ハムを見て、パストラミビーフ用の肉を熟成させていることを思い出した。今日は少し加熱の仕方を変えてみた。
レシピ通りに20分ゆでると、どうもお肉に申し訳ない出来上がりなので、思い切って2分茹で。出来上がりはローストビーフのしっとり感。
あと1分加熱しても大丈夫かな。しっとりとやわらかなローストビーフ風の食感で、グレービーを感じさせるジューシーなお肉。美味。
いつもの夢を見ると、これでよかったんだなあと思う。
たとえ無益でも、自分の中にある本物の炎をずっと燃やし続けて、最後まで駆け抜けていく。
報われることだけが、人生の目的ではない。少なくとも私にとっては。
いつもの夢と言っても、たぶん年に3回か4回、多くても二か月に一度くらいだろうか、記録したことがないので記憶はあいまい。
その夢は、いつも同じ登場人物で、夢の中で少しずつ進化というか存在が深化している。もとは実在の人物だった。いつかどこかで。
永遠なんてどこにもないけれど、この夢を見ると、人の心の奥深くには誰も知らない永遠の楽園があるような気がしてくる。
世界にはさまざまな現実があり、人生は思うようにはならないことを、だんだんと知って大人になる。それでも楽園はいつかのまま。
もし、人知を超える存在に、私が人間として生まれてきた理由が、この夢を見続けることだと言われたら、信じてしまうだろう。
私にとっての夢は文字通りの眠っている時間に見る無意識の世界であり、現実とは隔離されたできごとである。実現するのは無粋な感じ。
いつもの夢は、私が本当に求めているもの、実はそれを与えられていたこと、心の中に宝物を持つことの大切さを教えてくれる。
目覚めたときに、いつも同じ気持ちになる。そして、今日まで生きてきたことは、そんなに悪くなかったのではないかとほっとする。
家族のお友達が、自家製の生ハムを送ってくれた。1か月以上かけて熟成させた、とても上等なプロシュート。切るのが楽しみ。
あまりに美しい生ハムを見て、パストラミビーフ用の肉を熟成させていることを思い出した。今日は少し加熱の仕方を変えてみた。
レシピ通りに20分ゆでると、どうもお肉に申し訳ない出来上がりなので、思い切って2分茹で。出来上がりはローストビーフのしっとり感。
あと1分加熱しても大丈夫かな。しっとりとやわらかなローストビーフ風の食感で、グレービーを感じさせるジューシーなお肉。美味。
いつもの夢を見ると、これでよかったんだなあと思う。
たとえ無益でも、自分の中にある本物の炎をずっと燃やし続けて、最後まで駆け抜けていく。
報われることだけが、人生の目的ではない。少なくとも私にとっては。
養老・時間・太陽
今の私にとって大切なこと三つ。
養老孟司氏の未読かつ良質な著作(あるいは書き起こし)、時間ものハードSF(世界の前提激変)、最近の太陽異変。
ブログをはじめてからずっと、個人のレベルでできる身近な社会貢献や無償の行為を並行して続けてきましたが…。
巨大地震と大津波と原発事故を経験して、どうやら私は変わってしまったようです。他のほぼすべての日本人もそうでしょうけれど。
まず、人間が作ったもの、ルールを作っている人間、人間の価値基準で定められた、真善美、そういうものが心に響きません。
政治なんて最たるもの。人間の精神は発展途上で抑制しないと好き勝手なことをして暴力と無秩序があふれるから、だから政治がいる。
極論ですが、そうなんだろうと感じられて、これまで熱意をもって取り組んできた「政治家と政治をよくすること」は無駄と感じる。
少しは変わるかもしれないけれど、それは自己満足からすこしだけはみ出した部分だけであり、大勢には影響がないと理解しました。
なにしろ、政治家家系や政治家志望者をよく精査してみると、玉石混交の石ばかりとわかる。人を恫喝し傷つける石がごろんごろんと。
それまでは、マネー至上の膨張する市場に、地球史上とぎれたことのない物質・エネルギー系の循環が破壊されてしまうと強い危機感があり。
できれば大きな悲劇をともなうものでないことが理想的だったけれど、大震災を経て、確実に日本人の価値観は変わりつつあると感じます。
なかには、大震災に続いて起きた事故を自分の利益に利用しようとするヒステリー集団もいるので、それは困ったものでございますが。
地殻変動が始まった。数十年のスパンで巨大な地震・津波・破局的噴火が襲ってくるのはどうやら避けられないことは間違いない。
そしてこの地上には逃げ場がない。有史以来の記録を見ても、6世紀に起きたインドネシアの巨大噴火からゲルマン民族の大移動が起き。
遡れば、もうこの地上には存在しない多数の動物を絶滅に追いやった急激な寒冷化(隕石という説もあるが、詳細不明)も巨大噴火が原因。
と、自分の来し方行く末をぼんやりとイメージしていたら、これまでの認識が通用しない局面を察知したようでございます。
つまり、自分はこれまでと違う段階に入ったことを強く感じるのでございます。それで、周囲とのコンタクトもいま途切れている。
途切れている理由は、自分自身のアイデンティティをセットする土台が動いていると感じるので、それに無意識が集中しているため。
無意識が強くなると、あまり文字の出力や、人との交流には向かないモードになります。
常に何かがシグナルを発っしているけれど、自分は、そのシグナルが意味を持つ文脈を発見していない。認識の外にある。
それで、気が付くと、認識に関する書籍を手に取ったり、脳科学の最新研究を調べたり、とにかく無意識をどこに持っていこうかと。
ゆったりと落ち着いた雰囲気で、感情的には極めて安定しているのですが、その安定の中におく実質が変化しようとしている。
これが人間でなくて昆虫ならば、さなぎから成虫に身を以て変化したり、昔なら名前を変えて元服する状況なのかもしれません。
あるいは、どこか自分の知らないところで、使いつがれている名前があり、その名前という器に私が自分を合わせているのかも…。
あまり闇雲にあてどなくさまようのはよろしくないので、変化に際しては基本に戻ることが重要だと気が付きました。
それが、まだ唯脳論がブレイクする前から読んでいた、養老孟司さんの乾いて冷徹な視点と人間味あふれる表現の世界なのです。
バカの壁でブレイクした後は、あまり読まなくなったので(それでも死の壁やら無思想の発見やら人間科学講義などは読んだか)、いくつか新刊を。
さらには、私の精神がかなりの部分をそちらに預けていると思われるハードSFの、時間ものをいくつか並行して読んでいます。
これが本当の並行世界だったりするようなしないような、まあどうでもいいんですけどね。で、面白いものが三作ほど見つかりまして。
あとは、磁気異常の真の原因が太陽活動にあるかもしれないとの感触がありまして。
このごろ、1月も下旬になろうというのに、まだまだ日の出が例年以上に遅くて、暗いんです。朝。真っ暗。平日5時起きですから。
7時になってもまだ暗い。7時半になる頃ようやく東の空が明け染めて、空の下のほうがぼーっとほんのり赤っぽく染まるんです。でも暗い。
9時半ごろになってようやく空に太陽が上がっているという感覚になって、それでもどうにも光が弱い。大気中の微粒子なのかわかりませんが。
で、ずっと気になってたのですが、原因につきあたったようなのです。太陽自体が異常な状態になっていると。
詳しくは、こちらのサイエンスゼロの特集を見ていただいて。太陽活動に異変!?地球への影響は?
なんでも17世紀の寒冷化した時期と同じようなのですが、それに加えてこれまでにない異常も起きているようなのです。前代未聞の。
太陽の黒点活動は11年周期で、55年周期(確かコンドラチェフの波)毎に人間の社会もそれと同期するように大きく変化したと何かで読みました。
黒点活動の周期に合わせて、太陽の北極と南極の磁性が入れ替わるのですが、今回は南極がプラスになって、北極にもプラスが増えている。
つまりは、このままもし北極と南極がプラスになっていく傾向が強まるとしたら、磁力線が赤道近くで二つ発生してしまうとのこと。
なんだか、毎日「日の出が遅すぎる」、「このごろ太陽が暗すぎる」と感じて、家族でおかしいと言っていた矢先にこの観測結果。
全員感覚派なのですが、どう考えても地球も太陽系も「人間が思っているような場所ではないかもしれない」との確信が強くなり…。
そんなこんなで、個人の小さな認識ですが、コペルニクス的転換をしてしまうような予感が強まっていくばかりなのでした。
しばらく、美味しいご飯を作りながら、読書と情報収集と自分なりのマッピングに全力で集中していくような方向性が見えますね。
「人間形の存在は、体の中にある脳の認識の自由は、はたしてどこまで拡張可能なのか」そんな問いを立てているようです。
バーチャルリアリティと言っても、マックスヘッドルームのころは牧歌的だったにゃー。ナイトライダーの車もよかったわ~。
では、養老先生のお話を脳内で再生しますか。そのあとは、時間を封鎖してハードSFの世界へGO! 終わったら太陽の勉強よ。
養老孟司氏の未読かつ良質な著作(あるいは書き起こし)、時間ものハードSF(世界の前提激変)、最近の太陽異変。
ブログをはじめてからずっと、個人のレベルでできる身近な社会貢献や無償の行為を並行して続けてきましたが…。
巨大地震と大津波と原発事故を経験して、どうやら私は変わってしまったようです。他のほぼすべての日本人もそうでしょうけれど。
まず、人間が作ったもの、ルールを作っている人間、人間の価値基準で定められた、真善美、そういうものが心に響きません。
政治なんて最たるもの。人間の精神は発展途上で抑制しないと好き勝手なことをして暴力と無秩序があふれるから、だから政治がいる。
極論ですが、そうなんだろうと感じられて、これまで熱意をもって取り組んできた「政治家と政治をよくすること」は無駄と感じる。
少しは変わるかもしれないけれど、それは自己満足からすこしだけはみ出した部分だけであり、大勢には影響がないと理解しました。
なにしろ、政治家家系や政治家志望者をよく精査してみると、玉石混交の石ばかりとわかる。人を恫喝し傷つける石がごろんごろんと。
それまでは、マネー至上の膨張する市場に、地球史上とぎれたことのない物質・エネルギー系の循環が破壊されてしまうと強い危機感があり。
できれば大きな悲劇をともなうものでないことが理想的だったけれど、大震災を経て、確実に日本人の価値観は変わりつつあると感じます。
なかには、大震災に続いて起きた事故を自分の利益に利用しようとするヒステリー集団もいるので、それは困ったものでございますが。
地殻変動が始まった。数十年のスパンで巨大な地震・津波・破局的噴火が襲ってくるのはどうやら避けられないことは間違いない。
そしてこの地上には逃げ場がない。有史以来の記録を見ても、6世紀に起きたインドネシアの巨大噴火からゲルマン民族の大移動が起き。
遡れば、もうこの地上には存在しない多数の動物を絶滅に追いやった急激な寒冷化(隕石という説もあるが、詳細不明)も巨大噴火が原因。
と、自分の来し方行く末をぼんやりとイメージしていたら、これまでの認識が通用しない局面を察知したようでございます。
つまり、自分はこれまでと違う段階に入ったことを強く感じるのでございます。それで、周囲とのコンタクトもいま途切れている。
途切れている理由は、自分自身のアイデンティティをセットする土台が動いていると感じるので、それに無意識が集中しているため。
無意識が強くなると、あまり文字の出力や、人との交流には向かないモードになります。
常に何かがシグナルを発っしているけれど、自分は、そのシグナルが意味を持つ文脈を発見していない。認識の外にある。
それで、気が付くと、認識に関する書籍を手に取ったり、脳科学の最新研究を調べたり、とにかく無意識をどこに持っていこうかと。
ゆったりと落ち着いた雰囲気で、感情的には極めて安定しているのですが、その安定の中におく実質が変化しようとしている。
これが人間でなくて昆虫ならば、さなぎから成虫に身を以て変化したり、昔なら名前を変えて元服する状況なのかもしれません。
あるいは、どこか自分の知らないところで、使いつがれている名前があり、その名前という器に私が自分を合わせているのかも…。
あまり闇雲にあてどなくさまようのはよろしくないので、変化に際しては基本に戻ることが重要だと気が付きました。
それが、まだ唯脳論がブレイクする前から読んでいた、養老孟司さんの乾いて冷徹な視点と人間味あふれる表現の世界なのです。
バカの壁でブレイクした後は、あまり読まなくなったので(それでも死の壁やら無思想の発見やら人間科学講義などは読んだか)、いくつか新刊を。
さらには、私の精神がかなりの部分をそちらに預けていると思われるハードSFの、時間ものをいくつか並行して読んでいます。
これが本当の並行世界だったりするようなしないような、まあどうでもいいんですけどね。で、面白いものが三作ほど見つかりまして。
あとは、磁気異常の真の原因が太陽活動にあるかもしれないとの感触がありまして。
このごろ、1月も下旬になろうというのに、まだまだ日の出が例年以上に遅くて、暗いんです。朝。真っ暗。平日5時起きですから。
7時になってもまだ暗い。7時半になる頃ようやく東の空が明け染めて、空の下のほうがぼーっとほんのり赤っぽく染まるんです。でも暗い。
9時半ごろになってようやく空に太陽が上がっているという感覚になって、それでもどうにも光が弱い。大気中の微粒子なのかわかりませんが。
で、ずっと気になってたのですが、原因につきあたったようなのです。太陽自体が異常な状態になっていると。
詳しくは、こちらのサイエンスゼロの特集を見ていただいて。太陽活動に異変!?地球への影響は?
なんでも17世紀の寒冷化した時期と同じようなのですが、それに加えてこれまでにない異常も起きているようなのです。前代未聞の。
太陽の黒点活動は11年周期で、55年周期(確かコンドラチェフの波)毎に人間の社会もそれと同期するように大きく変化したと何かで読みました。
黒点活動の周期に合わせて、太陽の北極と南極の磁性が入れ替わるのですが、今回は南極がプラスになって、北極にもプラスが増えている。
つまりは、このままもし北極と南極がプラスになっていく傾向が強まるとしたら、磁力線が赤道近くで二つ発生してしまうとのこと。
なんだか、毎日「日の出が遅すぎる」、「このごろ太陽が暗すぎる」と感じて、家族でおかしいと言っていた矢先にこの観測結果。
全員感覚派なのですが、どう考えても地球も太陽系も「人間が思っているような場所ではないかもしれない」との確信が強くなり…。
そんなこんなで、個人の小さな認識ですが、コペルニクス的転換をしてしまうような予感が強まっていくばかりなのでした。
しばらく、美味しいご飯を作りながら、読書と情報収集と自分なりのマッピングに全力で集中していくような方向性が見えますね。
「人間形の存在は、体の中にある脳の認識の自由は、はたしてどこまで拡張可能なのか」そんな問いを立てているようです。
バーチャルリアリティと言っても、マックスヘッドルームのころは牧歌的だったにゃー。ナイトライダーの車もよかったわ~。
では、養老先生のお話を脳内で再生しますか。そのあとは、時間を封鎖してハードSFの世界へGO! 終わったら太陽の勉強よ。
予感
想像を絶する自然災害の影響かどうか、まだ本当の原因はわからないけれど、自分が変わってしまったことを実感する。
それまで、これからの日本を100年200年のスパンで、少しでも自然の物質循環に沿った社会システムに変えていくことを願っていた。
価値観を緩やかに変えて、いわゆる環境容量、自然が物質の提供と分解(還元=ごみと熱処理)をできる範囲のライフスタイルを作ることなど。
しかし、東日本大震災と人間の想像をはるかに超えた津波の威力を思い知らされて、自分の中で何かが不可逆的に変わった。
社会システムを変えて、人間の価値観を変えて、ライフスタイルを変えても、及ばないほどの自然が持つポテンシャルと脅威を感じて。
何かを変えようとすることは無意味に思え、また自然災害に乗じて自分の主張を通そうとする人間が信じられず。
もっと大きなタイムスパンで、はるかに遠いところから地球を客観的に見て、変わらないものを探したくなった。
今は、超大陸の本を読んでいる。一ページ読むごとにめまいがする。あまりにも自分が生きている小さな縮尺と違うので。
しかし、めまいや本能的な怖さを乗り越えて、縮尺の違いを受け入れて惑星を客観視することが、今は大切なことに感じられる。
私の中で、40年近く手を付けられないでいたことに、じりじりと距離を詰め始めたことがわかる。何かが大きく変わろうとしている。
あまりにも劇的な変化の予兆を感じるので、これまでのように自分の中から見通している、どこか遠い場所のことを言葉にできない。
そこにはリアリティの違いというか、切迫感の有無が関係しているように感じられる。つまり、今は切迫感が出てきて言葉が追い付かない。
見る夢が変わってきた。過ぎ去った時の見落としていた事実が、その隙間を埋めるように戻ってきて、答えを置いていく。
夢には、時を超えて現実を補完する役割があるのかもしれないと、このごろは特に強く感じるようになってきている。何かが違う。
おそらく、もう少し先に、私にとっての Point of no return があるのだろう。その場所を超えたら、今の私はいなくなる。
つまり、大震災前までに考えていた、この場所をよりよくするための自己犠牲的な働きかけが、まったく意味をなさない世界に入る。
自分の意志ではない。大震災を機に価値観が変化したことは、それまでの自分の方向性が何かを察知していたことの証明だった。
今となっては、自分のある種のただしさとか、予見性とか、個人レベルで持っていた「意味」が解体される、大きな転換点を前にしている。
だから、毎日の小さなことに、これまでよりも少し手をかけるようにしている。
今日はこのまえ仕込んだ、タンドリーチキン風ハムと棒棒鶏風ハムを仕上げてみた。狙った美味しさは再現できた模様。
鳥胸肉は疲労回復に効果的なアミノ酸が含まれているけれど、ぱさぱさして美味しくないので、ハムで食べられるように工夫して。
変わるんだろう。もう戻れない、不可逆的な変化が起きる。
超大陸を読みながら感じる恐ろしさ、軽めのホラー小説を読みながら感じる恐ろしさ。
そんな恐ろしさに似たような、これまでに経験したことのないことが起きる。それだけがわかっている。
それまで、これからの日本を100年200年のスパンで、少しでも自然の物質循環に沿った社会システムに変えていくことを願っていた。
価値観を緩やかに変えて、いわゆる環境容量、自然が物質の提供と分解(還元=ごみと熱処理)をできる範囲のライフスタイルを作ることなど。
しかし、東日本大震災と人間の想像をはるかに超えた津波の威力を思い知らされて、自分の中で何かが不可逆的に変わった。
社会システムを変えて、人間の価値観を変えて、ライフスタイルを変えても、及ばないほどの自然が持つポテンシャルと脅威を感じて。
何かを変えようとすることは無意味に思え、また自然災害に乗じて自分の主張を通そうとする人間が信じられず。
もっと大きなタイムスパンで、はるかに遠いところから地球を客観的に見て、変わらないものを探したくなった。
今は、超大陸の本を読んでいる。一ページ読むごとにめまいがする。あまりにも自分が生きている小さな縮尺と違うので。
しかし、めまいや本能的な怖さを乗り越えて、縮尺の違いを受け入れて惑星を客観視することが、今は大切なことに感じられる。
私の中で、40年近く手を付けられないでいたことに、じりじりと距離を詰め始めたことがわかる。何かが大きく変わろうとしている。
あまりにも劇的な変化の予兆を感じるので、これまでのように自分の中から見通している、どこか遠い場所のことを言葉にできない。
そこにはリアリティの違いというか、切迫感の有無が関係しているように感じられる。つまり、今は切迫感が出てきて言葉が追い付かない。
見る夢が変わってきた。過ぎ去った時の見落としていた事実が、その隙間を埋めるように戻ってきて、答えを置いていく。
夢には、時を超えて現実を補完する役割があるのかもしれないと、このごろは特に強く感じるようになってきている。何かが違う。
おそらく、もう少し先に、私にとっての Point of no return があるのだろう。その場所を超えたら、今の私はいなくなる。
つまり、大震災前までに考えていた、この場所をよりよくするための自己犠牲的な働きかけが、まったく意味をなさない世界に入る。
自分の意志ではない。大震災を機に価値観が変化したことは、それまでの自分の方向性が何かを察知していたことの証明だった。
今となっては、自分のある種のただしさとか、予見性とか、個人レベルで持っていた「意味」が解体される、大きな転換点を前にしている。
だから、毎日の小さなことに、これまでよりも少し手をかけるようにしている。
今日はこのまえ仕込んだ、タンドリーチキン風ハムと棒棒鶏風ハムを仕上げてみた。狙った美味しさは再現できた模様。
鳥胸肉は疲労回復に効果的なアミノ酸が含まれているけれど、ぱさぱさして美味しくないので、ハムで食べられるように工夫して。
変わるんだろう。もう戻れない、不可逆的な変化が起きる。
超大陸を読みながら感じる恐ろしさ、軽めのホラー小説を読みながら感じる恐ろしさ。
そんな恐ろしさに似たような、これまでに経験したことのないことが起きる。それだけがわかっている。
スープ
寒い日はストーブがいい感じ。赤橙の炎があったかくて、焼き芋もできるし。
今日は、フライパンに山盛りのあさりとはまぐりをじんわりじわじわワイン蒸しにしました。
そのままいただくのではなく、貝たっぷりのブイヤベースを作ってみました。
厳しい寒さで冷えて固くなった体にじゅわーっとしみこんで、中からぼんぼん温めてくれるようなパワフルなスープ。
今日も今日とて、クックパッドのお世話になりまして、8匹以下に抑えろという指示付きの有頭エビは5匹でトライしました。
できあがってびっくり。まるで丸一日煮込んで、一度冷めて再び温めたような、深いコクのずしっとした本格派になりました。
割とありきたりの材料で、エビ、タラ、イカ、アサリ、ハマグリだけ。あとはセロリとたまねぎとにんにくと缶トマトと白ワイン。
ムール貝はちょっと見た目があんまりという意見もあり、生息環境を考えると(まあ他も似たり寄ったりですが)ちょっとなーと。
いつもよりもたっぷりのオリーブオイルで、いつもよりも強火で、じっくり長時間炒めたのが美味しさの秘密かもしれません。
フランスパンではなく、ご飯にかけてスープご飯で。一皿で体の中から表面から末端まで、短時間でぐっと温まりました。すごい。
食べているうちに、「これカレーにしたら絶対に美味しい」ということになり、次回はシーフードカレーに仕立ててみます。
しばらく寒さが厳しいようですので、ちょっとごちそうっぽいスープシリーズで行ってみようかなと思っております。
って食事日記化しているこの流れ、どうなってしまったのやら。
今日は、フライパンに山盛りのあさりとはまぐりをじんわりじわじわワイン蒸しにしました。
そのままいただくのではなく、貝たっぷりのブイヤベースを作ってみました。
厳しい寒さで冷えて固くなった体にじゅわーっとしみこんで、中からぼんぼん温めてくれるようなパワフルなスープ。
今日も今日とて、クックパッドのお世話になりまして、8匹以下に抑えろという指示付きの有頭エビは5匹でトライしました。
できあがってびっくり。まるで丸一日煮込んで、一度冷めて再び温めたような、深いコクのずしっとした本格派になりました。
割とありきたりの材料で、エビ、タラ、イカ、アサリ、ハマグリだけ。あとはセロリとたまねぎとにんにくと缶トマトと白ワイン。
ムール貝はちょっと見た目があんまりという意見もあり、生息環境を考えると(まあ他も似たり寄ったりですが)ちょっとなーと。
いつもよりもたっぷりのオリーブオイルで、いつもよりも強火で、じっくり長時間炒めたのが美味しさの秘密かもしれません。
フランスパンではなく、ご飯にかけてスープご飯で。一皿で体の中から表面から末端まで、短時間でぐっと温まりました。すごい。
食べているうちに、「これカレーにしたら絶対に美味しい」ということになり、次回はシーフードカレーに仕立ててみます。
しばらく寒さが厳しいようですので、ちょっとごちそうっぽいスープシリーズで行ってみようかなと思っております。
って食事日記化しているこの流れ、どうなってしまったのやら。
自作フレーバーハム
今日は午前中にいくつか用事を済ませました。ついでに食材の調達なども。
このごろ、いろいろ作って試して楽しんでいるので、食いしん坊オーラが出てしまったのかもしれないなと。
買い物中に試食のお代わりを勧められたり、お肉屋さんでキャラメルもらってしまったり、試飲コーヒー増量だったり。ばれたか。
昨晩ゆでて、今朝までゆっくり冷ました“鳥ハム・バジルチキン風味”は大成功でした。バジルとパセリを混ぜるのがポイント。
薄くスライスして、やはり薄めのパンにベビーリーフと一緒にたっぷりはさむと大変美味しゅうございます。さらっとしたお味で。
バジルチキン味がうまくいったので、スナック菓子好きの私といたしましては、さらなるフレーバーの探求に出かけるのです。
大昔からカールのカレーとチーズだったらどっちか悩んだり、ドリトスならトーステッドコーンはダメのタコス>ナチョチーズで。
スナック菓子のフレーバーってよく特徴つかんでそれらしくできてると思います。プリッツなら博多明太子一択でしょうか。
そんなジャンクフードで鍛えられたフレーバー好きが、ハムづくりを始めたらむくむくと成長しているところでございます。
外を歩きながら、「タンドリーチキンってどうなのかしら?!」と天国から魔猫の可愛い質問が降ってきまして。
それはとても良い質問ですね、と瞬時に反応し、本日は“鳥ハム・タンドリーチキン風味”をこれから仕込んでみるのでした。
さらには、ご飯に合う一品も欲しいところですので、“鳥ハム和風梅しそ風味”も作ろうとおもいます。ささみの梅しそ和え風に。
それができたら、次は中華棒棒鶏風鳥ハムとか、焼き鳥風味とか、シーザーサラダ風味とか、作ってみようと思います。
スパイスとハーブと一緒に漬け込む素材を選んで組み合わせていくと、可能性がいっぱいに膨らんでいって面白いです。
手作りで、好みの味にできて、良いものだけを使うので、本当に美味しくできます。
しっとりと柔らかいハムになりますので、ピタやベーグルなどの無発酵パンとよく合う感じがします。
この鳥ハムをベースにした自作フレーバーハムに慣れてきたら、羊を使ってケバブ風のハムを作りたいなー。たぶん美味しいと思う。
このごろ、いろいろ作って試して楽しんでいるので、食いしん坊オーラが出てしまったのかもしれないなと。
買い物中に試食のお代わりを勧められたり、お肉屋さんでキャラメルもらってしまったり、試飲コーヒー増量だったり。ばれたか。
昨晩ゆでて、今朝までゆっくり冷ました“鳥ハム・バジルチキン風味”は大成功でした。バジルとパセリを混ぜるのがポイント。
薄くスライスして、やはり薄めのパンにベビーリーフと一緒にたっぷりはさむと大変美味しゅうございます。さらっとしたお味で。
バジルチキン味がうまくいったので、スナック菓子好きの私といたしましては、さらなるフレーバーの探求に出かけるのです。
大昔からカールのカレーとチーズだったらどっちか悩んだり、ドリトスならトーステッドコーンはダメのタコス>ナチョチーズで。
スナック菓子のフレーバーってよく特徴つかんでそれらしくできてると思います。プリッツなら博多明太子一択でしょうか。
そんなジャンクフードで鍛えられたフレーバー好きが、ハムづくりを始めたらむくむくと成長しているところでございます。
外を歩きながら、「タンドリーチキンってどうなのかしら?!」と天国から魔猫の可愛い質問が降ってきまして。
それはとても良い質問ですね、と瞬時に反応し、本日は“鳥ハム・タンドリーチキン風味”をこれから仕込んでみるのでした。
さらには、ご飯に合う一品も欲しいところですので、“鳥ハム和風梅しそ風味”も作ろうとおもいます。ささみの梅しそ和え風に。
それができたら、次は中華棒棒鶏風鳥ハムとか、焼き鳥風味とか、シーザーサラダ風味とか、作ってみようと思います。
スパイスとハーブと一緒に漬け込む素材を選んで組み合わせていくと、可能性がいっぱいに膨らんでいって面白いです。
手作りで、好みの味にできて、良いものだけを使うので、本当に美味しくできます。
しっとりと柔らかいハムになりますので、ピタやベーグルなどの無発酵パンとよく合う感じがします。
この鳥ハムをベースにした自作フレーバーハムに慣れてきたら、羊を使ってケバブ風のハムを作りたいなー。たぶん美味しいと思う。
手塩
このところ、ずっと手塩にお世話になり続けていまして。
幸か不幸か、豚や鶏を飼ってそののちに食すという「命の体験学習」の経験はありません。
しかしながら、不思議なことに自分で塩蔵肉を手作りするようになって、肉から動物の命を感じるようになりました。
手塩には、いくつかの意味があるようです。
食卓に塩を小皿に盛って置き、食べる時に食べる人が好きなだけ使うものも手塩であり
不浄を祓うために、小皿に盛って置く塩も、やはり手塩と呼ばれているようでありまして。
今日は朝から、パストラミビーフを仕込んで、さらにまた塩豚を仕込んでみました。
前回初めて作ってみたパストラミビーフですが、20分茹でて6時間ほど水の中においているため、ややパサパサでした。
市販品よりは、それなりに美味しいのですが、手をかけたほどの満足感は得られませんでした。
そこで、レシピから少し踏み込んで、砂糖の代わりにメープルシロップを使ってみました。
ローレルよりも上等な香りに仕上がるローズマリーにハーブを代えて、煮切りしょうゆに加えるお酒を赤ワインに変更。
どちらかというとローストビーフのようですが、今回は熟成が終わったら茹でずにホイル焼きでうまみを封じ込めることを画策中。
茹でると、どうしてもうまみが逃げていきます。
餃子を焼くときに水を差すだけでも、完全に味が逃げてしまいます。
そこで最近は、餃子を焼くときにも水を使って蒸し焼きはしないで、鉄鍋餃子風にかりかりに焼いていきます。
皮が柔らかい餃子で楽しみたい人には、もやしと長ネギと生姜で白湯スープを作って水餃子にします。味の深みが全部楽しめますし。
ずれました。そこで、茹でる調理には限界を感じているため、蒸し焼きで素材の良さを生かし切ることにしたのでした。
肉を下ごしらえをするときには、手で調味料を塗りこめていきます。
塩を塗るときには、それこそ本当に「手塩にかける」ように大切に丁寧に全体にむらが出ないように塗っていきます。
そうすると、やはりお肉ですので、紛れもない生き物の感触がそこにあることに気づかされます。体温は失われていますが。
無意識に、感謝の念で包まれている自分に気づいて、ふと「肉をいただくというのは厳粛な行為である」と思い知らされます。
ですが、それを私はとても幸せな経験だと思っていて、これからも塩蔵肉を真剣に美味しくして皆でいただこうと考えています。
私の手元に来てくれた肉に形を変えた動物と、生きているときに出会うことはできませんでしたが、
自分の命よりも大切にしていた魔猫のマッサージと同じように、そこにある動物の確かな存在と触れ合っているように感じます。
What you eat is what you are. 目の前にある、きれいな肉が、やがて私になり、私でなくなり、水になり、土になり、灰になり。
手塩を擦り込んでいると、水が出てきます。水をふき取って密閉して、冷蔵庫で眠らせます。長く眠ると美味しくなります。
流れ出した水には、塩分が溶け込んで、岩塩ならば大地の欠片と出会い、海塩ならば海の欠片と出会います。体よりも一足先に。
毎日の小さな出来事で、単なる食事の下ごしらえなのですが、日常動作の。
なぜか、鎮魂と成仏といろいろなものがない交ぜになったような荘厳さの片鱗が、岩塩のきらめきの中に見えるような気がするのです。
時間にずれはあったけれど、あなたが残した大事なものを、大切に熟成させていただきます。
そんな無言の誓いが日差しの中に溶けていくようです。塩というのは、深い物質だとしみじみ思いつつ。
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